私の家が「ゴミ屋敷」だと、私がはっきりと認識したのは、宅配便の配達員が怪訝な顔で玄関の隙間から荷物を差し入れた時でした。私は幼い頃からADHD(注意欠如・多動症)の診断を受けています。忘れ物が多く、集中力が続かず、計画的に物事を進めるのが苦手でした。大人になれば治る、と言われてきましたが、一人暮らしを始めてから、その特性は私の生活を容赦なく蝕んでいきました。仕事から帰ると、疲れ果てて脱いだ服は床にそのまま。コンビニで買ってきた食事の容器は、テーブルの上に溜まっていきました。最初は「明日片付けよう」と思っていました。でも、その「明日」は永遠に来なかったのです。片付けを始めようとしても、床に落ちている一冊の雑誌を手に取ったが最後、その内容に気を取られて一時間が経過している。ゴミをまとめようとしても、どの袋に何を入れるべきか頭が混乱し、パニックになって投げ出してしまう。そんなことの繰り返しでした。やがて、部屋は足の踏み場もないほどのモノとゴミで溢れかえりました。友人を家に呼ぶこともできず、私は社会から断絶された孤島にいるような気分でした。罪悪感と自己嫌悪で胸が張り裂けそうでした。「なぜ、普通の人が当たり前にできることが、私にはできないんだろう」「私はなんてダメな人間なんだろう」。ゴミの山は、私の無能さの象徴のように見えました。このままではいけない。そう思って、地域の福祉センターに震える声で電話をかけたのが、私の転機でした。障害の特性を理解してくれるカウンセラーと出会い、ADHDの人が片付けに取り組むための具体的な工夫や、思考の整理術を学びました。一人では決して抜け出せなかったゴミの迷宮から、少しずつ光の差す方へ歩み出すことができたのです。片付けられないのは、私の心が弱いからではなかった。私の脳の特性に、やり方が合っていなかっただけなのだと、今はそう思えます。